運命を自らの手で切り開く決意と、裏切られた友情の間で揺れる若者の心理を巧みに描いた映画『太陽がいっぱい』。
この物語は、貧困に喘ぎながらも大胆不敵な野望を抱く青年トムの姿を追い、彼が計画する衝撃的な犯罪の旅路を通して、人間の欲望と狂気を鮮やかに映し出します。
アラン・ドロンの圧倒的な存在感とニーノ・ロータの哀愁を帯びた音楽が、この映画を時代を超えた名作へと昇華させています。
1960年に劇場公開された『太陽がいっぱい』の予告編動画は、こちら
貧しい青年トムは、大富豪の友人フィリップの父に頼まれ、彼を連れ戻そうとナポリに赴く。
遊びに明け暮れ、放蕩のかぎりをつくし自分を見下すフィリップの態度に、いつしか殺意を覚えるトム・・・やがて彼は “人生の勝利者”となるべく凶悪な計画を練る。
『太陽がいっぱい』は、ニーノ・ロータの名曲と共に、アラン・ドロンを一躍スターダムに押し上げた伝説のサスペンス!
貧しい青年と金持ちのドラ息子
アメリカの貧しく孤独な青年トムは、イタリアに渡って戻ってこない友人のフィリップを連れ帰るよう大富豪である彼の父親から頼まれる。
高額の報酬で依頼を引き受けたトムは、フィリップが婚約者マルジュと遊びに明け暮れるナポリにやって来る・・・金持ちのボンボン息子は、放蕩のかぎりをつくしていた。
怒りは殺意へ!
トムはフィリップを連れ帰すため説得しながら 行動を共にするが、自分を見下す態度への怒りや 金持ちへの嫉妬が次第にドス黒く渦巻いていく。
やがて、彼は綿密な計画を練り “人生の勝利者”となるべく行動に出る。
そしてある日、洋上のボートで2人きりになったトムはフィリップを殺し、彼に成りすますための偽造を図る・・・。
太陽がいっぱいだ!
南欧の、どこまでも明るい日差しが降りそそぐ浜辺で、ビーチ・チェアに横になり、成功の美酒に 束の間酔いしれるトムの姿があった。
その口から、ふっと漏れる呟き、「太陽がいっぱいだ!」・・・人生最高の気分だ と。
その時、ビーチの売店に背広姿の男が 二人(刑事)入ってきた。
太陽がいっぱい! 完璧と思われた、背徳の完全犯罪の行方は?
美青年アラン・ドロンを世界的スターに押し上げた伝説のサスペンス!
本作は『禁じられた遊び』の名匠ルネ・クレマンがパトリシア・ハイスミスの原作小説を映画化し、当時無名ながら主役に抜擢されたアラン・ドロンが、美貌の裏に陰を秘めた貧乏青年を熱演し、ここからドロンの人気が起爆した映画として知られています。
当初、クレマン監督は無名の俳優だったドロンの起用に乗り気じゃなかったと伝えられるけど、やはり、本作はアラン・ドロンという役者が居てこその作品!
アラン・ドロンの陰りのある美貌と、時折見せる獲物を狙うような貪欲な目、復讐の炎が揺らめいている暗い眼差しなどが、とても魅力的で観る人を魅了します。
残酷で、美しくて、切なくて、哀しい、そんなやるせなさも残る、衝撃的なラストシーンの演出は今観ても新鮮です。
世紀の美男子アラン・ドロンの魅力!
ドロンは1957年の夏に映画祭開催中のカンヌの街を、上半身裸でぶらついていたところをスカウトされ、銀幕デビューを果たすという仰天エピソードを持っています。
本作でもヨットを操る 筋肉質で均整の取れたドロンの裸体は、とても美しい!
当時25歳のアラン・ドロンの特徴は、甘い端正なマスクと、その顔にこびり付いて消えない育ちの卑しさ・・・それが或る種の陰となって女性の母性本能をくすぐるんですネ!
ドロンは『太陽がいっぱい』や、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』(1960年)のような陰鬱な役柄がハマります。
アラン・ドロンがふと見せる陰りは、幼少時の両親の離婚や家庭不和・育った境遇と愛情不足・青年期にもがいていた不遇時代からの影響があると思われます。
まさに『太陽がいっぱい』は、底辺でもがいていたドロンにとって、これ以上ない程ピッタリの役柄で、トムの姿は そのまま当時のドロンそのものだったといえます。
ミステリアスな作家「パトリシア・ハイスミス」
ストーカーや交換殺人といった題材を、深い心理描写と巧みな構成で描き、サスペンスの巨匠として愛されたパトリシア・ハイスミスは、本作『太陽がいっぱい』をはじめ、アルフレッド・ヒッチコックの『見知らぬ乗客』(1951年)、アンソニー・ミンゲラの『リプリー』(1999年)、トッド・ヘインズの『キャロル』(1915年)など映画史に残る数々の名作の原作者であり、サスペンスの巨匠として知られています。
同性愛が禁じられていた時代
ハイスミスが生み出した有名なキャラクタートム・リプリーは『太陽がいっぱい』『アメリカの友人』など、リプリーを主人公にした作品を数多く残し、リプリーは罪の意識を感じずに犯罪を犯していきます。
キリスト教で禁じられている「同性愛者」という罪悪感を抱いて生きていたハイスミスにとって、リプリーはどういう存在だったのでしょう?
ハイスミスは罪の意識を感じないリプリーに憧れて、自分を重ね合わせていたところがあったのではないでしょうか。
映画『太陽がいっぱい』の音楽
哀愁漂うニーノ・ロータのテーマ曲も印象的
「太陽がいっぱい」の、ラストで流れるテーマ曲を作曲したニーノ・ロータは『ゴッドファーザー』(1972年)のテーマ曲も作ったイタリアの作曲家。
手に汗握る冷ややかな犯罪と対照的な真っ青な海と空、ギラギラと輝く太陽・・・そしてあの切ないラストに流れるロータのメロウでマイナーな曲♬~は、いつまでも忘れがたい。
本作を忘れられない名画にしているのは、甘くて哀しく痛ましくしているこの曲です!
当時はサントラ盤も大ヒットしました。
『太陽がいっぱい』の原題は『Plein Soleil(照りつける太陽)』で、ロータはクレマン監督のフレンチ気質が気にくわなくて、この曲の仕上がりには不満を持っていたようです。
映画『太陽がいっぱい』あらすじ
アメリカの貧しく孤独な青年トムは、イタリアに渡って戻ってこない友人フィリップを連れ帰るよう大富豪である彼の父親から頼まれる。
連れ戻した際の成功報酬は5000ドルという、高額の報酬で依頼を引き受けたトムは、フィリップが婚約者と遊びに明け暮れるナポリにやって来る。
フィリップには、恋人マルジュがいて帰国する気はなく、トムを連れ回しローマで遊ぶ。
トムは成功報酬を目当てにフィリップを説得し行動を共にするが、貧乏人として自分を見下す傲慢な彼の態度への怒りや、金持ちのボンボン息子への嫉妬と憎しみが渦巻いていく。
怒りは凶悪な計画に!
フィリップは立派なセーリング・クルーザーも所有し「マルジュ号」と名づけている。
ある日、フィリップはトムとマルジュを連れてヨットで港を出る。
沖に出るとフィリップは、マルジュと二人きりになるために、トムが邪魔だ。
”ボートの様子を見て来いよ”とトムに言って、トムがボートに乗り移ったところで、ロープを伸ばしてクルーザーに戻って来られなくする。
トムはボートに乗ったまま漂流する。
フィリップと彼女がいちゃいちゃしている間、トムはボートの上で太陽に灼かれていた。
その後トムを助けた時には、全身が太陽に灼かれ息も絶え絶えだった。
トムは「のけもの」をはっきり自覚し、フィリップとマルジュの間を裂こうと計画し、さらに凶悪な計画を構想していた。
それは、フィリップを亡き者にした後、彼に成り済まし その財産も恋人も自分のものにしてしまう計画だ。
殺意の海!
再び、ヨットに乗った時 トムはフィリップを殺そうと思っている。
それに気づいたフィリップはトムがお金を得たら、自分を殺さないだろうと思い”賭けに勝ったらお前に2,500ドルあげる” と言ってトランプゲームをしてわざと負けた。
わざと床に落としたカードを取ろうとするフィリップを、トムがナイフで刺し殺した。
そして、フィリップの遺体を帆布にくるむとロープで縛って海に捨ててしまう。
帆布を縛ったロープは・・・
完全犯罪の実行!
その後トムはフィリップを殺した後に、彼に成りすますための偽造を図る。
トムは身分証の偽造や筆跡の練習をし、フィリップに成りすまして財産を奪う計画を実行していく。
トムはフィリップの口調を真似ることができて、マルジュが電話を架けてきても騙せる。
ある日、フィリップの友達が、フィリップが滞在しているホテルを見つけて訪ねて来ると、トムだけがそこにいる?
そこで怪しまれるが ”僕は挨拶に寄っただけで、フィリップは食事に出かけたよ”と言ってその場をしのぐ。
友達が帰ろうとすると、ホテルの管理人さんが、トムを見て”フィリップさん”と話しかけてきたので、正体がばれてしまった!
第二の殺人!
上手くいっていたのに クソ!・・・とっさにトムは、第二の殺人を犯してしまう。
トムはフィリップのパスポートの写真を綺麗に剥がして公印を粘土で型を取って偽造する。
サインを模写する練習は、最初は壁にスライドで大きく映して、それをなぞって、それを
だんだん小さくしていく。
本人のサインを真似し、パスポートも偽造しているから本人証明ができて銀行で預金を引き出していく。
成功の美酒に酔いしれる!
南欧の、どこまでも明るい日差しが降りそそぐ浜辺で、ビーチ・チェアに横になり、成功の美酒に束の間酔いしれるトム。
トムの様子に売店のウエイトレスが気を使い近寄り、”気分はどう?”と語りかける。
”気分はいいよ。太陽が照りつけているから こんな感じなのさ”
“人生で最高の気分さ。最高の飲み物を持ってきてくれ。最高のを!“と語り、自分が成し遂げた完全犯罪に酔いしれる。
スクリューに絡みついた一本のロープ!
トムが人生最高の気分を味わっている最中、マリーナではフィリップのヨットを簡易検査するために一旦陸に引き揚げる作業が進み、船体が船台とともに陸上に上げられた。
それに続いて船尾のスクリューに絡みついた一本のロープに引っ張られるようにして海中から、黒なった帆布の塊が現れた!?
帆布の隙間から、腐敗した人の手が飛び出していることに気づく!
死体に気付いたマルジュの悲痛な叫び声が、マリーナに響きわたった。
太陽がいっぱいだ!
トムはそんなことは露知らず、ビーチで美酒に酔いしれている。
その口から、ふっと漏れる呟き、「太陽がいっぱいだ!」
二人の男は刑事だ。
刑事と売店のオバちゃんが、何やら言葉を交わしてる。
彼女にトムを呼ぶように言う。
やがて、オバちゃんは決心したように外へ出て声を掛けます、
“リプレィさん、電話ですよ!”
ウン? 誰だ ちょっと訝しげなトム。
再び、オバちゃんの声。
トムはビーチ・チェアから立ち上がり、笑顔で売店へと歩き出す。
余韻のラスト!
固定されたローアングルの画面の中、立ち上がったトムが こちらへ向かって歩いて来て画面から出て行く。
画面には、砂浜に残されたビーチ・チェアと、その向こうに広がる青い海にノンビリとヨットが浮かんでいる・・・。
哀愁漂う二ノ・ロータの音楽が大きくなって FIN。
キャスト
アラン・ドロン、モーリス・ロネ、マリー・ラフォレ、ニコラス・ペトロフなどが出演。
もの悲しい見事なラスト
全てを手中に収めたかのように見えた時、哀愁漂うニーノ・ロータの名曲が流れ、この幕切れ感と、後に残る余韻が何とも言えず素晴らしい・・・まさに完璧!
『太陽がいっぱい』は、1960年公開のフランス映画です・・・名作なのに、今では観ていない人が多そう? 約60年前の作品なのに、今観ても全く古びていない!
1999年に、トムをマット・デイモンが主演し、フィリップをジュード・ロウ、恋人のマルジュをグウィネス・パルトローで映画『リプリー』が公開されました。
これは本作の再映画化で、原作により忠実に映画化されているが、後半の展開が微妙に違っているのです・・・野望を抱えた殺人者!やはりアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」が最高。
作品概要
製作国:フランス・イタリア合作
監督:ルネ・クレマン
上映時間:118分
劇場公開日:1960年6月11日
コメント