黄色いトラックスーツを身にまとったドラゴン最後の雄姿!
5年の歳月を費やして完成させた幻の遺作『死亡遊戯』はブルース・リーが命を賭けて遺した巨大なる映画的遺産です。
B・リー没後50年のアニバーサリーイヤーを記念し4Kリマスター版でリバイバル上映!
映画史上最高のアクション・スター
アチョ~!響く怪鳥音、唸るヌンチャク。
その小柄な体からは想像もつかないパワーとスピード、そして圧倒的な格闘スキル。
ブルース・リーは香港のみならず、世界を代表する映画史上最高のアクション・スターであり、伝説の武道家です。
彼の作品は世界中の映画ファンを魅了し続けています。
ブルース・リーは、香港を 世界を代表する 映画史上最高のアクション・スターにして伝説の武道家・・・しかし彼の作品が世界の映画ファンを熱狂させた時、この世の人ではなかった。
そして没後50年を迎えるブルース・リーは、我々にとって彼に出会ってから50年が経ったことを実感する。
永遠のドラゴン伝説
陰謀が渦巻く要塞島で、ブルース・リーの怒りの拳が炸裂!
身体を武器に強大な悪に挑み、怒りの炎を燃やせ!
『燃えよドラゴン』は映画史上に残る最高傑作アクションです。
しかし、50年経った今もなお、ブルース・リーは「伝説のドラゴン」として映画ファンの中で生き続けています。
ブルース・リーの真の強さ
人はリーの作品をみて、「彼は武道家じゃない」とか、あまりのスピードに「あんな動きはできるはずがない!カメラのトリックだ」と言われたことがあったようですが、その後彼の生き方や思想と共に、一流の武道家として尊敬されました。
武道家としての鍛錬も、何と!1日にパンチを5000回以上、そしてキックを2000回以上も繰り返し練習していたそうです。
偉大な武道家
「Don’t think. Feel!(考えるな。感じろ!)」この言葉はブルース・リーが弟子に武道の極意を教える場面であり、物事をむやみに考え過ぎると、自由な発想が生まれてこないことがあるので、全身の感覚を研ぎ澄ます感性の大切さをリーは説いたのだ。
彼は俳優以前に偉大な武道家であり、伝統という古い型から飛び出したった一人で武術の道を出し、しかも世界の武術に革命を起こし発展させた「武術革命家」でもあったのです。
彼が出演した作品の数々は、武道家として自らのアクション哲学に裏打ちされた精神性が見事に反映されています。
イップ・マンのもとで修行
ブルース・リーは、演劇の役者である中国系の父と白人の母が長期のアメリカ巡業中にサンフランシスコで生まれ、親の影響により幼い頃から子役として活躍したが、一旦生まれ育ったアメリカを離れ、自身のルーツである香港に戻り数多くの映画の子役として活躍しながら、武道を習い始めます。
13歳のリーは詠春拳の使い手である葉問(イップ・マン)のもとで修行し、武道に才を見せるが、日々喧嘩に明け暮れ 喧嘩に詠春拳を使っていた為に破門されました。
その後、大学を中退し道場の経営に専念しながら、様々な格闘技のエッセンスを取り入れた截拳道(ジークンドー)を創始しました。
中国拳法に飽き足らず、ボクシングからは「倒すパンチ」とフットワークを学び、フェンシングからは防御と攻撃が一体化した動きを研究し、またモハメド・アリの試合映像を何度も見てジャブの有効性にも着目していたという証言もあります。
截拳道は、リーが開発した武道・哲学で、武術のみならず人間としての生き方を表す思想でもありました、
香港のトップスターに!
そんな中、アメリカで出場した空手の大会のフィルムがTVプロデューサーの目に留まり、TVドラマ・正義のヒーロー「グリーン・ホーネット」の準主役レギュラーを掴み、日系アメリカ人のカトー役を演じ、派手なアクションで人気を博しました。
これをきっかけに、ロサンゼルスでハリウッドの有名俳優やプロデューサーを顧客に武術の個人指導をするようになり、アクション・スターとしての階段を上っていきます。
その後彼は、「香港映画の父」と言われたレイモンド・チョウが設立したばかりの嘉禾電影有限公司(ゴールデン・ハーベスト)と契約を結び、初主演となる『ドラゴン危機一髪』は、香港の歴代興行記録を塗り替える大ヒットとなり、一躍香港のトップスターに躍り出る。
更に待望のハリウッド・スタジオからのオファーを受けて、米中合作の『燃えよドラゴン』は公開後、世界中でカンフー映画ブームを巻き起こすほどの大ヒットとなり、リーは一躍国際的なトップスターとなりました。
突然の訃報!
だが、更なる活躍を期待した矢先、中断していた自身の監督・主演作品である『死亡遊戯』の撮影再開を前に脳浮腫により1973年7月20日、ブルース・リーは若干32歳の若さでこの世を去りました・・・この時点で彼の主演作は実質4作品のみ。
『死亡遊戯』は撮影開始後、念願のハリウッド・スタジオとゴールデン・ハーベストが合作する『燃えよドラゴン』の撮影のために中断されていたのです。
幻の未完作
1972年初夏に、リーの監督・主演で撮影開始された『死亡遊戯』は、撮影途中にオファーを受けたハリウッドとの合作『燃えよドラゴン』の撮影のために一時中断されていたが、更にリーの急死によって頓挫し未完作となりました。
それから5年『燃えよドラゴン』のロバート・クローズ監督をはじめ最高のスタッフが結集し、リーの未公開フイルムの編集や代役による追加撮影が行われ、遂に幻の遺作『死亡遊戯』は完成し1978年に公開されました。
これぞブルース・リー!
リーの死亡後、彼の主演作は全世界に配給されアクション・スターとしての知名度は上昇しましたが 彼が演じた数々のアクションシーンは、今でも語り草になるほど強烈なインパクトを残したのです!
なかでもローマ・コロッセオを舞台にチャック・ノリスと激闘を展開する『ドラゴンへの道』は、リーが主演・監督・脚本・製作・音楽監修・武術指導の6役を務めたヒット作です。
ドラゴン・シリーズ3作品
『ドラゴン危機一発』(1974年)
青年チェンは、タイの製氷工場で働く親戚を頼って香港からやってきた。
だが、その会社は裏で麻薬の密売を行っており、秘密を知った仲間が次々と殺される。
怒りを爆発させたチェンは「喧嘩はしない」という母との誓いを破り、仲間の復讐のため極悪非道な社長一味に単身闘いを挑む!
本作は、アジア各国や中東などで大ヒットを記録して世界的な香港製クンフー映画ブームの発火点となった作品で、日本では初公開された『燃えよドラゴン』の熱狂を受け、“ブルース・リー第2弾”と銘打たれて公開されました。
『ドラゴン怒りの鉄拳』(1974年)
20世紀初頭の上海・・・チェンは師匠が急死したという知らせを受け、急ぎ帰郷した。
彼は、師匠の葬儀を妨害しにやってきた日本人武道家に激怒し、彼らの道場に乱入して日本人たちを叩きのめす。
ところが、警察をバックにつけた日本人たちは、報復として師匠が遺した道場・精武門の乗っ取りを画策する。
そんななか、彼らが師匠を毒殺したという証拠をつかんだチェンは、師匠の仇を討つべく再度日本人たちに闘いを挑む。
日本では“ブルース・リー第3弾”と銘打たれて、リーの一周忌の命日に公開されました。
リーが演じた、実在した伝説の武道家チェン・チェンの物語は、その後映画やテレビで何度もリメイクされることになる。
『ドラゴンへの道』(1975年)
香港人青年トン・ロンは、イタリア・ローマの国際空港に降り立った。
彼はマフィアに立ち退きを迫られている中華料理店の、助っ人にやってきたのだ。
物静かなトン・ロンは、はじめこそチャンや店の若者たちにバカにされるが、脅迫にきたゴロツキを手練のカンフーで撃退したことで、評価が一変する。
トン・ロンと若者たちは団結して、マフィアたちに立ち向かうことにした・・・だが、マフィア側はアメリカ人武道家、コルトを送り込んできたため激闘の展開となる。
本作はブルース・リーが自らの製作会社コンコルド・ピクチャーズを設立し、主演・監督、脚本、製作、音楽監修、武術指導の6役をこなした入魂の1本。
闘いの舞台イタリア・ロケも話題となり、香港では彼の主演作史上最大のヒットとなった。
クライマックスのリー対チャック・ノリスの激闘は、今も映画史上最高の格闘技アクションとして語り草となっています。
『燃えよドラゴン』(1973年)
陰謀が渦巻く要塞島で、ブルース・リーの怒りの拳が炸裂!強大な悪に挑み、ドラゴンの怒りの炎を燃やせ!公開後、世界中で一躍カンフーブームを巻き起こした傑作アクション!
本作は、それまでの主演作の総決算的な要素があり、ヌンチャク、長棍、カリ、アクロバットアクション、血舐め等 ブルース・リーアクションのエッセンスが凝縮されています。
幻の遺作!『死亡遊戯』(1978年)
人気絶頂の映画スター・ビリーは、芸能・スポーツ界を裏で牛耳る国際犯罪組織のボス、ドクター・ランドから自分の傘下に入るよう迫られていた。
ビリーは首を縦に振らず、業を煮やしたランドはビリーの恋人である歌手アンにも魔の手を伸ばし始める。
ランドの刺客が放った凶弾で重傷を負ったビリーは、一計を案じて自ら死を偽装し、影の存在となり、復讐の機会をうかがうが…。
オリジナル・ストーリーが大幅に変更
当初の設定では、リーが演じるキャラクターは格闘技の元世界チャンピオンという設定で、家族を拉致したマフィアに強要され、各地から集められた格闘家たちと共に、韓国にある五重塔でのデスゲームに挑むこととなる。
この五重塔では各階にそれぞれ格闘技の達人がひとりずつ配置されており、彼らとのデスマッチに勝利すれば順番に上の階へと進むことが出来る。
そして、ほかの格闘家たちが次々と敗れていく中、主人公だけが無事に勝ち進んでいき、いよいよ最上階で最強の敵と対決することになる・・・というお話が完全版で変更されました。
五重塔の各階の戦いではなく、国際的シンジケートに脅されたカンフースターが、殺されたふりをして身を隠し、その組織に闘いを挑んでゆくという物語に変更されたのです。
リーが存命中に撮影されていたのは、主にこの五重塔でのクライマックスシーンだけで、完成版でブルース・リーが演じたのは『燃えよドラゴン』以前にリーが主演した香港映画の未公開フィルムを多数流用し、それ以外にもブルース主演作の細かい映像がそこかしこで切り貼りされ、大半のシーンは別人の代役をブルースに見立てて撮影しました。
今やブルース・リーのトレードマークとも言える、黄色に黒のラインが入ったジャンプスーツは、本作で初めて着用したものです。
4Kリマスター復活祭でリバイバル上映
『死亡遊戯』は、2020年7月の「ブルース・リー 4Kリマスター復活祭2020」で、ブルース・リーの怪鳥音入りの日本初公開時英語版でリバイバル上映され、更に没後50周年を記念し、2023年7月の特集上映「WBLC2023 ワールド・ブルース・リー・クラシック2023」でも同バージョンの4Kリマスター版が公開されました。
その締めくくりとして2023年12月1日から5日まで、東京池袋の「新文芸座」で一挙に5本の主演作品が上映されました。
ブルース・リーの名言
伝説のマーシャル・アーテイストとしても知られるブルース・リーは、多くの名言も残しています。
人生そのものが、あなたの教師であり・・・「人生を大事にしているなら、時間を浪費してはいけない。人生は時間の 積み重ねなのだから」 とも。
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